久々にこのブログをアップしますね。
二ヶ月の長い春休みが終わりを告げようとしています。
京都の桜は満開で、去年の私のように、不安そうになれない学校に通う子達も見受けられます。
これから、私は、短大での最終学年。
自分のやりたいことを徹底的に見つめなおしてみました。
私は、心の中で、社会科(歴史)の教師になろうと思っていました。
その理由は、中学のときと高校のときに行った、海外研修でのこと。
このときに、私は日本のことをあまりにも知らなさ過ぎると痛感したのです。
たどたどしい私の英語を一生懸命読み取ろうとしてくれていたホストファミリーに、私は彼らが知りたがった日本の文化をほとんど伝えられないまま還ることになってしまい、とても悲しかったのです。
そこで、私は歴史を習えば、文化がおのずとわかるのではないのか、そう思い、歴史の先生になるぐらい勉強してやろう、そう思ったのです。
そして、高校での歴史の先生が憧れの対象となっていました。
しかし、そうおもって大学に入り、いざ歴史の授業を習っても、一つも面白くないのです。
大学の先生とは、馬が合わず、正直、こんなの苦痛でも何者でもないとおもってしまうほど。
進路に悩みました。
大学の授業を取ってみても、やっぱり、楽しくないのです。
そんなとき、友達に進められた先生の授業を受けたのです。
その先生は、文化の達人のような人で、さまざまな日本の隠れた文化を私は教えてもらいました。
とても、とても、楽しかったのです。
文化=歴史。
それはあながち間違ってはいないけれど、こんな日本民族的な文化は史学科では学べないのではと思ったのです。
そして、もう一度、思い出そうと思ったのです。
私の最初、最初の本当の私のなりたかったもの。
中学二年のニュージーランドで考えた将来のことを。
「外国人に日本を知ってもらいたい。」
私は、最初、日本カルチャー教師、または、海外の日本語教師になろうと思っていたことを思い出したのです。
日本に伝わる、祭り、服装、食、そして歴史など。
身近に、解りやすく、彼らに伝えたかったこと。
その先生は、海外の学生に日本文化を教える活動をしていました。
私の夢が、間近にあったのです。
これだ。
そう思いました。
私の心は大きく旋回。
歴史から文化へ。
国語は苦手だけど、やってみようと思います。
あ、英語も必須だね。
がんばります。
以上、決意表明でした。
二ヶ月の長い春休みが終わりを告げようとしています。
京都の桜は満開で、去年の私のように、不安そうになれない学校に通う子達も見受けられます。
これから、私は、短大での最終学年。
自分のやりたいことを徹底的に見つめなおしてみました。
私は、心の中で、社会科(歴史)の教師になろうと思っていました。
その理由は、中学のときと高校のときに行った、海外研修でのこと。
このときに、私は日本のことをあまりにも知らなさ過ぎると痛感したのです。
たどたどしい私の英語を一生懸命読み取ろうとしてくれていたホストファミリーに、私は彼らが知りたがった日本の文化をほとんど伝えられないまま還ることになってしまい、とても悲しかったのです。
そこで、私は歴史を習えば、文化がおのずとわかるのではないのか、そう思い、歴史の先生になるぐらい勉強してやろう、そう思ったのです。
そして、高校での歴史の先生が憧れの対象となっていました。
しかし、そうおもって大学に入り、いざ歴史の授業を習っても、一つも面白くないのです。
大学の先生とは、馬が合わず、正直、こんなの苦痛でも何者でもないとおもってしまうほど。
進路に悩みました。
大学の授業を取ってみても、やっぱり、楽しくないのです。
そんなとき、友達に進められた先生の授業を受けたのです。
その先生は、文化の達人のような人で、さまざまな日本の隠れた文化を私は教えてもらいました。
とても、とても、楽しかったのです。
文化=歴史。
それはあながち間違ってはいないけれど、こんな日本民族的な文化は史学科では学べないのではと思ったのです。
そして、もう一度、思い出そうと思ったのです。
私の最初、最初の本当の私のなりたかったもの。
中学二年のニュージーランドで考えた将来のことを。
「外国人に日本を知ってもらいたい。」
私は、最初、日本カルチャー教師、または、海外の日本語教師になろうと思っていたことを思い出したのです。
日本に伝わる、祭り、服装、食、そして歴史など。
身近に、解りやすく、彼らに伝えたかったこと。
その先生は、海外の学生に日本文化を教える活動をしていました。
私の夢が、間近にあったのです。
これだ。
そう思いました。
私の心は大きく旋回。
歴史から文化へ。
国語は苦手だけど、やってみようと思います。
あ、英語も必須だね。
がんばります。
以上、決意表明でした。
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